紡績工場で働きながら夜間学校に通っていた絹子さんは、ある日一つの新聞記事に出会い、ハンセン病療養所で働くことを決心。しかし療養所内での患者とスタッフ間の格差に悩んでいた時に、いつも笑顔を絶やさないカメラ青年・春平さんに惹かれ、告白。そして二人で療養所を出て社会復帰することを決断し結婚。だれも知らない土地に引越し、夫婦二人三脚で三人の子供を育てあげる。差別・偏見を怖れハンセン病については一切周囲に話していなかった二人だったが、1996年のハンセン病国家賠償請求訴訟をきっかけに自身の体験について語るようになる。最初はためらっていた絹子さんも次第に積極的に啓蒙活動に参加するようになり、二人で講演するように。そして2019年6月、ハンセン病家族国家賠償請求訴訟の判決が下り、石山さん家族を含む原告側の勝利が確定した。これは、ハンセン病元患者の家族が受けた被害に対し、初めて国の責任を認めた歴史的なものだった。その後も裁判や講演で忙しく全国を飛び回る二人だったが、ある日絹子さんの体に異変が起きる。